2014/11/30

ナルシストとはどんな人なのか。自分に向きがちな意識を外に向けるには?

「ナルシスト」という言葉は、単に自己中心的なだけの人を指すものではありませんが、実際には、人をけなす際によく使われます。でも、少しだけ自己中心的なのは、悪いことではなく、精神衛生上、不可欠な場合もあります。ただし、「越えてはいけない一線」があるのです。この記事では、その線引きを明確にするとともに、ともすれば自分だけに向きがちな意識を外の世界に向けていくにはどうすれば良いかを見ていきます。

「ナルシシズム(自己愛)」とは正確には何なのか


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ナルシストという言葉は、最近インターネット上でよく使われます。たいていは、自分のことで頭がいっぱいになりがちな人とか、SNSなどで傍目には「痛い」振る舞いをしている人に向かって、厳しい批判として投げつけられています。
ところがこの言葉は、本来は心理学の用語であり(そもそもは「ナルシシズム」「ナルシシスト」というのが正しい表記です)、「自分撮りやランチの写真をやたらにSNSにアップする」程度の人を指すものではありません。心理学の用語が一般の人に誤用されている例はほかにもありますが、この言葉も間違った意味で、悪口として定着してしまいました。
米Lifehackerではおなじみのメンタルヘルスの臨床医ロジャー・ジル(Roger S. Gil)氏によると、「自分が大好きで、自分の言葉に酔いしれるタイプの人」と、ナルシシスト、すなわち「自己愛性パーソナリティ障害」(Narcissistic Personality Disorder)を有する人との間には、大きな隔たりがあるそうです。

医学用語としての病的なナルシシズムは、パーソナリティの機能の欠陥を指し、その人の自己認識や、他者との関わり方、他者に対する振る舞い方などによって起こります。自己愛性パーソナリティ障害の患者に多く見られる特徴の例としては、自己のアイデンティティを確立するのに他者からの承認を必要とする他者への共感や他者と打ち解けることが難しい他者と敵対する、などがあります。
Drew Pinsky氏とMark Young氏が実施した調査によると(Pinsky氏はDr. Drewとしてメディアにも多数出演しています)、セレブの中では特にリアリティ番組の出演者に、医学的な意味でのナルシシズムの傾向を強く示す人が多かったといいます(調査の内容は『The Mirror Effect』という本にまとめられています)。というわけなので、典型的なナルシシストがどんなものか知りたければ、テレビをつければ良いのです。

要するに、医学的な意味でのナルシシストとは、「やたらに自分撮りをしてはInstagramにアップする人」を指すのではないのです。とはいえ、本物のナルシシストの中にも、この手の行動をする人はいます。結局は、その人のパーソナリティの全容を見て、その人が他者に共感できるかどうかで判断することになります。
医学的な意味でナルシシストに該当するかどうかの判断は、パーソナリティ障害を持つ人を多く診てきた専門家に任せるのが一番です。そうした専門家ならば、その人がナルシシズムをコントロールするのに必要なレベルの自意識を育む手助けもできます。ナルシシズムに伴ってメンタルヘルス上の別の問題が生じることは珍しくありませんが、それらをコントロールするための助言も行えます。あなたがそうした専門家でないのなら、自分撮りが大好きなクラスメートや、食事の写真をアップしたInstagram上の友達の悪口を言いたくなっても、口をつぐんでおくのが賢明です。
とはいえ、一般の人が、自分撮りとナルシシズムを結びつけて考えるのは、無理もないことです。今年のはじめ「自分撮りとナルシシズムの関連を専門家が認めた」とする記事がインターネット上に現れ、またたく間に広まりました。これが完全なる悪ふざけのパロディ記事だとわかったときにはあとの祭りでした。とはいえ、こうしたデマが作られ、多くの人がいまだにそれを信じているという事実から見えてくるのは、私たちの誰もが、「自分のことで頭がいっぱい」な状態にちょっとした罪悪感を覚えており、人がそうしているのを見ると(ましてその相手が言い訳もせずに開き直っていると)ひどい嫌悪を抱く、ということです。
自己中心的な人を見つけるのは簡単です。たとえば職場の同僚で、いつでも会話の中心になりたがる人がいますよね。運転中に事故にあった時、同乗者のことよりも自分の車を心配する人もいます。我が子には学用品も買ってやらないのに、自分用には最新のゲーム機を買ってしまう親というのも怪しいですね。こうした人たちは皆、自分のことで頭がいっぱいだと言えます。でも「その人が自分の行動をどうコントロールしているか」を見ないことには、その人がただの性悪なのか、医学的な意味でのナルシシストに該当するのかはわかりません。
すでに述べたように、専門家以外の人がこれを見極めるのは容易ではないのですが、ジル氏がいくつかアドバイスをくれました。

病的なレベルのナルシシズムに気づくのは容易ではありません。というのも、ナルシシストは現実をゆがんだ形で捉えており(「認知のゆがみ」と言います)、周囲の人もしばしばそれに引きずり込まれてしまうからです。本物のナルシシストを見極める上でわかりやすいのは、彼らは「認知のゆがみを指摘されるのに耐えられない」ということです。「自分は偉大である」という考えに疑義を挟まれたり、それ以外にも何であれ自分の見解に反論されたりすると、ナルシシストは何らかの形で感情を爆発させます。
本物を見分けるもう1つのサインは、その人の過去の人間関係に「破綻の痕跡」が認められるかどうかです。本物のナルシシストには、近づいてきた人の感情を傷つけた過去のある人が多いのです。ナルシシストには、誰かと本当に打ち解けた関係になれなかったり、共感力の欠如ゆえに、相手との関係を良くする行動が取れなかったりする傾向があるからです。
本物のナルシシストのサインの3つ目は、「自身の利益のために他者を利用する」という傾向です。本物のナルシシストにとって、自身にとってメリットのある結果が得られるのならば、そのための手段は何であれ正当化されます。
ウォルター・アイザックソンによるスティーブ・ジョブズの伝記に、ティナ・レドセという元恋人が登場したのを覚えているでしょうか。ジョブズはアイザックソンに対し、彼女はこれまで出会った誰よりも自分を理解してくれたと語っています。その一方でこの本には、レドセがジョブズを自己愛性パーソナリティ障害であると考えていたという一節もあります。ここでジョブズの伝記を例に出したのは、この本には彼の張りつめた人間関係や「奇矯な」振る舞い、他者への敵意がさまざまに描かれていて、おまけに彼の最大の理解者が、彼を自己愛性パーソナリティ障害であると疑っていたとも書かれているからです。

本物の自己愛性パーソナリティ障害の人は、「いつでも自分が主人公でいたい人」とは違います。自己愛性パーソナリティ障害の患者は、人間関係の構築がうまくいかず、自分が悪いとはめったに認めません。自身のものの見方と矛盾するような事実や出来事は、目の前でその正しさを突きつけられたとしても、理屈をつけて否定してしまいます。もし、医学的な意味でのナルシシズムの兆候を見つけた場合、理想的な対応は専門家に任せることです。そうしないのであれば、相手の共感力に訴えかけて、相手の振る舞いがちょっと自分勝手だと指摘すると良いかもしれません。

誰にでも、ちょっと自己中心的なところはある(それは悪くない)


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繰り返しますが、ちょっとナルシシズムの傾向を示したからといって、その人が医学的な意味でのナルシシストに当たるとは限りません。誰だって自分の物語の主人公なのですから。でも、自分以外の人もそれぞれの物語の主人公だということを理解できるか、他者とつきあう時にそれを思い出せるかは、共感力の有無をはかる踏み絵になります。もしあなたが、自分の利益を考えつつも、他者の利益も認められるなら、特に問題はありません。ほどほどのナルシシズムは、私たちの誰にとっても、悪いものではないのです。ジル氏はこう説明しています。

誰にでもナルシシズムの傾向はあります。ナルシシズムは、自分にとっての最優先課題を見つけるのに役立ちます(「私にはその価値があると思うから、昇進を目指そう」)。それに、自分の良いところを見つける上でも有益です(「私はきっと目標を達成できる、だって私は粘り強いから」)。さらに、悪い状況から抜け出す契機になることもあります(「もう別れよう、あんなことをされて我慢してはいけなかった」)。

私たちの行動や、他者のナルシシズムに対する反応からは、人間の性質について多くのことがわかります。米誌『Forbes』に、「自分撮り」文化についての優れた記事がありますが、それによれば、「自分撮り」は突き詰めると、自分の属する社会で承認され称賛されたいという願望の表れなのだそうです。

「自分撮り」という文化現象は、人類の根本的欲求を示しています。注目され、承認され、称賛されている手応えがほしいという気持ちの表れです。「自分撮り」は、必ずしも望ましい形の承認を引き出すものではありませんが(自分撮りを嫌う人が多いのは、たぶんそのせいです)、FacebookやInstagram上の友達から、ほんのいくつか「いいね!」をもらっただけでも、人間の心理の根源的な要素が発動します。それはつまり「人は承認され、感謝されたと感じると、その承認を引き出した行動を繰り返す」というもので、この性質自体は、たとえば仕事で成果をあげるのにも役立ちます。
O・C・タナー・インスティテュート米HealthStream社が10年間にわたってアメリカとカナダで10万人を対象に行った調査では、従業員が雇用主に対して求めているもののトップは承認であると確認されました。この調査によると、仕事を辞めた人の79%が、離職の主な原因として、十分な感謝がなかったことを挙げています。仕事への意欲がきわめて高いと答えた回答者の94.4%が、上司は自分をきちんと承認してくれていると回答している一方で、意欲が低い人の中で、上司が承認してくれていると回答した人は、わずか2.4%でした。
恋愛と結婚生活に関するサイト「YourTango」がメンタルヘルスの専門家を対象に行った調査からは、感謝されたいという欲求がはたらくのは職場だけではないとわかりました。パートナーとの良好な関係を維持する上でも、不可欠な役割を果たしていたのです。
この調査は、もともとは結婚生活の中で起こりやすい問題を探る目的で行われたものです。それによると、回答者の65%が「コミュニケーションの問題」を、離婚につながる要因の中で特にありがちなものとして挙げています。離婚を考えている夫婦のコミュニケーションに関する不満として、男性の側でもっとも多かったものは、「配偶者からの非難や不満」(70%)で、次点は、「配偶者が自分に十分な感謝を示さない」(60%)でした。女性の不満のトップは、「自分の気持ちや意見を尊重してくれない」(83%)でしたが、これは、気持ちや意見を「承認」してくれないと言い換えてもほぼ同じことでしょう。

私たちが自分のことで頭がいっぱいになりがちなのには、ちゃんと理由があるのです。世界に向けて公開するのに、編集や加工を施したセルフイメージを用いたがるのにも理由があります。私たちは、自分にとって関わりの深い人々から、承認され、称賛され、感謝されたいのです。そして、私たちの交際の範囲がテクノロジーのおかげでこれまでにないほど拡大したのに伴い、SNSやオンラインコミュニティといったインターネット上にまで承認欲求が広がりを見せたのは、当然のなりゆきです。今や、Facebook上の友達やInstagram上のフォロワーから承認を得ることは、隣人や同僚から承認を得るのと同じくらい重要になりました。それ自体はやはり悪いことではありません。テクノロジーがどんなに私たちを結びつけているか、私たちのつながり方が、どんなに強固かつ多様になったかを示すものでしかありません。

自分に向きがちな意識を、共感と生産的行動に向かわせるには


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というわけで、本物のナルシシストと、「ちょっとナルシシスト的な行動」をしてしまう人の違いはわかりましたね。自分のことで頭がいっぱいになりがちな性質は、私たちの誰もが持っているものです。では、これを何か有益な形に変換することはできないでしょうか? 
まず、私たちは誰しも、周囲からの承認と感謝を欲しがっているということを認めましょう。仕事でも、恋愛関係でも、オンラインでも、私たちは社会的な肯定を得たいのです。身近な人は、相手から直接求められなくても、すすんで肯定してあげるようにしましょう。
次に、自分がどういう時に承認を求めているのか理解しましょう。承認欲求は、普通だし自然なことです。特に身近な人からの承認が欲しいと思うのも、自然なことです。自己検閲の必要はありませんが、自分の行動をまずチェックする習慣をつけましょう。あなたが肯定してほしいと思っている相手は、あなたにどう対応していますか? 相手との関係は? 相手との距離は、近いですか? 遠いですか? あなたの感触では、相手はあなたを歓迎していますか? それとも、イヤイヤつきあってくれていると思いますか?
自分自身や周囲の人がちょっと自己中心的になっているような気がするのなら、そんな時こそ利他的な行動をとってみましょう。ジル氏によると、他者のために行動すれば、自分のことを頭から追い払えるのだそうです。ボランティアをしたり、困窮状態の人に援助したりすると良い気分になるのには、理由があったのです。今度「新しい靴」に散財する時は、自分の1足を選ぶだけでなくホームレスのためにも1足買ってみては、とジル氏は勧めています。あなたは良い気分になれるし、実際良いことをしているし、それでいて物語の中心に据えられるのは、(少なくともその瞬間は)あなたではなく、あなたが助けた相手なのです。そんなお大尽遊びをするお金はない、という人も、別の形で誰かの役に立てるはずです。
もちろん、上記の効能が得られるのは、本物の利他的行動をとった場合だけです。何のしがらみもない状態で、何の見返りも求めずに、他者のために何かをする、という境地でなくてはいけません。チャリティに寄付をしたり、困窮状態の人に援助したりするのは、もちろん立派なことですが、しがらみがあって仕方なくとか、「チャリティに熱心な人」という評価をお金で買いたくて、といった動機ならば、それは利他的行動とは言えません。利他的行動の仮面をかぶったナルシシズムにすぎません。
時間やお金を他者のために提供する習慣をつける、というこの方法に加えて、ジル氏はもう1つ、別の提案もしています。自己中心的な性質も、うまく使えば他者の身になって考えるのに役立つというのです。まずは聞き上手になるところから始めましょう。能動的に耳を傾ける方法を身につけるのです。
具体的には、相手の話を中断しない、反論したり否定したりしない、すぐ自分の話に持っていかない、などの点に注意します。他者の話に耳を傾け、今は相手のための時間であって、自分が主役ではないのだと肝に銘じます。それがうまくいったら、相手の身になって、どんな気分か想像してみましょう。すでに述べたように、もしあなたがちょっとだけ、自分のことで頭がいっぱいになりやすいだけの人なら、相手に共感するのは難しいことではないはず。ただ単に、人の話を聞いている時に相手に共感するのが、自然な習慣になっていないだけでしょう。
結局、医学的な意味でのナルシシストも、ちょっと自分のことで頭がいっぱいになりやすいだけの人も、共感力の問題ということになります。以前の記事でも、共感力というスキルがなぜそんなに重要なのか共感によって周囲の人との関係が強固になるのはなぜか、といった話題を取り上げています。
もちろん、他者に共感し続けるのは容易なことではありません。身近な人たちが、いつもあなたの時間に割って入ろうとし、あなたの注意を独占しようとするような環境であれば、なおさらです。そうは言っても、ちょっとした共感力の発揮は、自分自身の充実感を得るのにおおいに役立ちます。あなたの人生にとって大切な人たちから見て、あなたが「要求を口にするだけの、その他大勢」の1人になってしまわないためにも、共感を示すことは大事なのです。

Alan Henry(原文/訳:江藤千夏/ガリレオ)
Title image by Tina Mailhot-Roberge. Additional images by Emergency Brake and Alper uun.


http://www.lifehacker.jp/2014/11/141126narcissitic_defense.html

2014/11/29

「人から好かれる努力」をすべきではない3つの理由

コミュニケーションの時代だ。
企業の採用基準には「コミュニケーション能力」が必ずあがるし、私立高校や大学が対人スキルの向上を学習目標に掲げることも少なくない。いまの日本では、誰もが良好な人間関係を築こうと必死になっている。もちろん私だって、豊かな人間関係に囲まれて暮らしたほうがしあわせだということに異論はない。
けどさ、なんだかおかしくない?
良好な人間関係って、努力して作り出すものなのだろうか。自分がしあわせになるために? 出世して収入を増やすために? そんな下心にもとづいて創出した人間関係は、はたして本当の「絆」と呼べるのか。
そもそも日本人はシャイな国民性を有している、らしい。留学生の友人たちは異口同音に日本人の奥ゆかしさを指摘する。週末のパブでスタウトを片手に嫁さんの愚痴をこぼしたり、休日にご近所さんとBBQをしてHAHAHAと大声で笑ったり、そんな社交的な習慣とは無縁な文化を私たちは作ってきた。どちらかと言えば、小さな工房にこもって欧米の大味な技術・知識を小型化したり精緻化したりするが得意な人々だったはずだ。ここ数年でいきなり社交性を求められたって困るのだ。
なぜか好かれる人が欠かさない 相手目線のコミュニケーション|人を動かす心理学 
http://diamond.jp/articles/-/15932
天才を部下に持つということ--独特のジレンマに向き合う
http://japan.cnet.com/sp/businesslife/35013646/
人間関係の問題について書かれたこのあたりの記事を読んで、そんなことを思った。
人生は短い。好きでもない相手に気に入ってもらおうとするなんて時間の無駄だ。コミュニケーション能力がないことを思い悩むほうが、よほど精神衛生上よろしくない。そして何より、「努力」をして手に入れた人間関係はホンモノの絆ではない。下心に基づく人間関係なんてニセモノで嘘っぱちだ。
誰からも好かれる人は、誰でもいい人だ。
そんな交換可能な人間になるぐらいなら、身近な数人から「あなたでなければダメ」と言われたい。人から好かれる努力なんてする必要がないし、すべきではない。
       ◆
1.人生は短い
人生はそんなに長くない。たとえばいま20歳の人の平均余命は、男性で59年、女性で66年だそうだ。日数でいえば2万日ちょっと。その一方で、日本には20歳の人が130万人もいる(2009年時点)。つまり自分とタメ歳の人だけに限っても、毎日65人ずつ新しい人と出会わなければすべての人と知り合いになれない。まして「誰とでも仲良くなる」なんて不可能だ。
私たちは限られたクラスターのなかで生活している。
たとえば東京都に暮らす人のうち、10人に1人は外国人だ。あなたがもしも東京都に暮らしていて、まんべんなく人間関係を構築しているのなら、あなたのケータイの電話帳は10人に1人が外国人にならなければおかしい。が、実際にはそうでない人のほうが多いだろう。まんべんなく人間関係を作るなんて現実には不可能で、私たちはどこまでも分断されている。
先日、GREEの田中社長がこんなツイートをして物議を醸していた。いわく「よく『GREEって、偏ったこういう人が使ってるんですよね?』とか『GREEとか使っている人見たことない』とか言う人がいる。日本で3000万人も使っているので、とある特定の層が3000万人いるのか、自分が日本の特定の3000万人と接しない生活をしているのか、考えるといいと思う。」だそうだ。しかし、均質で均等な人間関係を作るのはそもそも不可能なのだから、GREE利用者と接しなくても何の不思議もない。
参考)
3000万人の会員数を誇るGREE利用者があまりにも回りにいないので調べた結果、本当に住む世界が違ったという話
http://e0166.blog89.fc2.com/blog-entry-991.html
人生はあまりにも短く、人はあまりにも多い。もしもあなたがいま人間関係に問題を抱えているのなら、あなたの人間性に問題があるのではなくて、周囲の環境に問題があるのかもしれない。自分の属する共同体を自由に選べる社会を私たちは目指さなければいけないし、あなたはもっと居心地のいい仲間を探すべきだ。
人から好かれる努力をするぐらいなら、居場所を変える努力をしたほうが効率的だ。
2.好かれなければならない、という強迫観念
人から好かれたいと思うのはごく自然な感情だ。嫌われるよりも、ずっとマシだ。そういう気持ちを持つのは、私たちが社会的な動物として進化してきた証拠である。しかし、「人から好かれる」ことが就職や昇進に――生存に関わるようになると話が変わる。人から好かれたいという純粋な気持ちが、好かれなければならないという強迫観念に変わってしまう。
(就職したいから)人から好かれたい。
(昇進したいから)人から好かれたい。
(お金が欲しいから)人から好かれたい。
そんな枕言葉をつけてしまうのは、ハッキリ言って不幸だ。
シロクマ先生が面白い分析をしている。ビジネス本や就活本に登場する「コミュニケーション能力」という言葉は(当たり前だけど)心理学的な定義はない。どちらかといえば外国語能力や調理能力のような「技能」と見なすべきだ。そう考えた場合、コミュニケーション能力なる技能を身につけるには何年ぐらいのトレーニングが必要だろうか。
「コミュニケーション能力」をちょっと解剖してみる
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110124/p1
シロクマ先生の分析では「5年」だそうだ。笑ってしまう。自動車免許なら半年もあれば取れるし、簿記なら人によっては1ヶ月で2級に合格できてしまう。それに比べて、5年があまりにも長い。医師免許の取得に必要なのが6年だったっけ? コミュニケーション能力を身につけるのは、それこそ医者になるのと同じぐらい時間がかかるのだとシロクマ先生は言う。
定義のあやふやな「コミュニケーション能力」を身につけて得られるものは、その5年に見合うほど素晴らしいモノなのだろうか。
あなたはまだ、この世界に生きている人たちのほんの一部としか出会っていない。あなたの見ている「普通の人たち」が、世の中の平均からみたら全然普通じゃないかもしれない。ならばコミュニケーション能力を求めて5年を棒に振るよりも、あなたの居心地のいいコミュニティを見つけることに努力を向けたほうがいいのではないか。
人から好かれたいという素直な感情は、お金が絡んだ瞬間に強迫観念へと変わる。人から好かれなければならないと信じてしまった時に、すんなりと環境に馴染めればまだいい。そうでなければ「我慢の時間」が5年も続くのだ。そんなの精神衛生上、好ましいとは思えない。
3.まやかしの人間関係
どんな理由があれ、自分をいつわるのは不幸だ。自分にうそをつきながら「良好な人間関係」を作れたとしても、そんなものはまやかしだ。なぜなら周囲の人は、うそのあなたしか見ていない。本当のあなたには興味すらない。人が深く関われる他人の数は限られている。良好な人間関係とは、つまり表面的な人間関係のことだ。
先日、某電子器機メーカーで働いている友人と話をした。職場の支店長が病気で急逝したという。
その会社は典型的な日本型企業だ。それこそ休日には運動会があって、家族ぐるみの付き合いを強いられる。飲み会を一回断っただけで職場にいづらくなる。そんな昭和からタイムスリップしてきたような会社だという。社員同士が強い絆で結ばれていると、少なくとも私の友人は信じていたらしい。そして職場の支店長は人望が厚く、誰からも好かれていた。
しかし彼の職場では30秒の黙祷をして、それだけだった。
彼の職場が冷たいとか情に薄いとか、そういうことを言いたいのではない。職場での人間関係なんてそんなものだ。一瞬だけ死を悼んだら、あとはいつも通りの日常業務に戻る。それが正しいサラリーマンのあり方だ。どんなに日本企業的な――ウェットな人間の感情で運営されている会社であっても、組織である以上、誰か一人が欠けたぐらいでは何の支障も出ない。仕事におけるサラリーマンは、交換可能な歯車でしかない。業務上も、人間関係においても。
そんなものは本当の「絆」ではない。
私が思うに、「絆」の条件はたった一つ。「あなたがいなければダメ」と言えるかどうかだ。その人をまるで自分の一部のように感じ、その人のいない人生なんて想像できないと言えるかどうか。それが「絆」の条件だ。職場におけるサラリーマンの立場とは真逆なのだ。その支店長の不幸に涙した同僚も、もちろんいただろう。だけど、仕事がうまく進まなくなるとか大事な案件の相談ができなくなるとか、そんな理由で泣くわけがない。涙の理由はいつだって職場の外にあるのだ。
胸に手をあてて、少し考えてみてほしい。
もしも今あなたが死んだとして、いったい何人が泣いてくれるだろう。職場の人たちはどうだろう。クラスメイトはどうだろう。一生の友情を誓ったかつての同級生たちはどうだろう。いったい何人が、「あなたがいなければダメ」と言ってくれるだろう。親や兄弟姉妹、結婚相手は、果たして泣いてくれるだろうか。絆とは、誰かをまるで自分の一部のように感じることだ。そんな誰かが死ぬのは、体の一部をもぎ取られるようなものなのだ。だからこそ私たちは涙を流す。その人のために時には命さえも投げだそうとする。そういう相手と巡り会えた人は、それだけで幸福だ。出産を終えたばかりの母親がなぜあんなに幸せそうな表情を浮かべるのか:そういう相手を産み落としたからだ。
今の社会で求められるという「コミニュケーション能力」は、そんな絆を生み出すのにはあまり役に立たない。上っ面の人間関係を取り繕うのには便利かも知れないが、深い絆は作れない。自分をいつわるのは不幸だ。しかし深い絆を誰かと結ぶことができたら、それだけで人は幸せを感じる生き物なのだ。
誰からも好かれる必要はない。
あなたが死んだ時に、泣いてくれる誰か。あるいはその人が死んだときに、あなたが涙する誰か。そういう誰かとの絆を深く、強固なものにするべきだ。たとえ世界中の人から嫌われたとしても、そんな強い絆で結ばれた相手が一人でもいる人は幸福なのである。私たちはそういう相手を見つけるために人生を使うべきであって、愛想笑いの練習に時間を浪費すべきではない。
誰からも好かれる人は、つまり誰でもいい人なのだから。
       ◆
国際化が進んでいるからという理由で、子供に外国風(というか欧米風)の名前をつける親たちがいる。目が細くて面長な典型的日本人顔をしながら、名前が真理亜だったり真池流だったり――。実際にそういう名前をつけられてしまった人には申し訳ないけれど、正直なところ噴飯ものだ。一方、知人のムサシくんは外国人留学生から大人気だ。吉川英治の描いた宮本武蔵は、世界的に人気があるらしい。
国際化ってのは、つまりそういうことだ。
世界標準(と勘違いした欧米標準)に自分たちを合わせるのではなく、多様化する文化や価値観のなかで自分たちのアイデンティティをしっかりと発揮することなのだ。私の本名は純和風で、なおかつ日本語初学者が必ず学ぶ単語の一つになっている。そのせいか、外国人に自己紹介をしたらまず忘れられることはない。この名前をつけてくれた親には感謝している。
コミュニケーション能力も、そういうものなのだと思う。
グローバル化する時代だ。気さくな米国人やディベート慣れした欧州の人々、あるいは交渉に強い中国人たちと、私たちは同じ土俵のうえで生活している。日本人はシャイだというけれど、それではダメだ、強いプレゼンスとコミュニケーション能力を身につけるべきなのだ――と、アドレナリン濃度の高い人たちは言う。世界標準のマインドセットをインストールすべきだと鼻息
荒く訴える。
だけどそれが本当のグローバル化なのだろうか。
私たちはどこまでも日本人で、心の根底には「日本人らしさ」が流れている。私はいつも日本的な経営や、日本人の横並び大好きの気質をdisっているけれど、そんな私でも海外出身の友人と喋っているときには感じずにはいられないのだ:私は日本人なのだと。この国の文化に染まり、この国の言葉を血肉にしている人間なのだと。
シャイでいいじゃないか。
人見知りのなにが悪い。
簡単なことですぐに鬱病になって、そのくせ満員電車に耐えられるほど我慢強くて。それが私たちなのだ。うわっつらのコミュニケーション能力を身につけて何になる。誰からも好かれるようなつまらない人間になるぐらいなら、もっと大切なものを見つけたい。
「あなたでなければダメ」という相手を見つけたい。

http://m.huffpost.com/jp/entry/6234562

2014/11/27

『90%以上のガンは数週間のうちに完治』ガンを治すのに、手術も 放射線治療も 化学療法も 必要ない

さらに、(特に)私が行った治療は。。。大量のビタミンC(1日に100cc、1週間に3回以上の割合で)を血液に注入しました。そうすると、ガンは2日以内に消えてしまいます。心臓病を患っている人もビタミンCの大量摂取でで完治します。

さらに、ビタミンEは高血圧を改善します。しかし人工的に作られたビタミンでは効き目はありません。天然のビタミンでないと効き目がありません。自然界の問題は自然界が解決するのです。

さらにガン患者が自分でガンを治したいと思うなら。。。未加工の食品だけを食べる完全菜食主義者(ローフードダイエット)になることです。

さらに、腎臓に疾患の無い方は、1日に1ガロンの水(小さじ1/2の海塩を入れる)を飲みます。人間の身体がうまく機能するには身体に電気を流す必要があります。電気を発するには塩が必要なのです。そのため、体内の塩分が不足すると高血圧になります。ただ、食卓塩(精製塩)を摂ると、塩の結晶が血管の膜を傷つけ血管内部が出血します。そして、出血を止めるためにコレステロールが傷ついた部分を覆うため、結果的にコレステロールで血管が狭くなり高血圧になります。塩は食卓塩ではなく海塩を使ってください。

コレステロールに関しては多くの誤解があります。コレステロールが不足すると死に至りますが、高コレステロールで死亡する人はいません。高コレステロール(600)でも病気にならずに健康的に暮らしている人がいます。コレステロールは、壊れた細胞を新しい細胞に再生してくれます。生まれ変わった細胞の80%がコレステロールの働きによるものです。従って誰もが250の複合?コレステロール値を保つべきです。しかしLDLやHDLを善玉や悪玉と呼んでいますが。。。これらはコレステロールではないのです。これらはコレステロールを運ぶタンパク質なのです。このように医療界ではバカバカしい検査しています。

一般的に医師の平均寿命は世界一短い、56才です。彼らはアルコール依存率や麻薬常習率が他の業種に比べ最も高いのです。さらに自殺率も最も高いのです(特に精神科医の自殺率が高い。)。
患者は、病気を治してもらい健康的で幸せな暮らしをしたいと願いながら、このような病んだ医師たちに診察、治療してもらおうとしているのです。 

一切の薬を断ち、体温をあげて代謝をあげ、排毒を促す石原メソッド。
その方法は、コップ3杯のニンジン・リンゴジュースを1日3回飲むこと。そして、基本的に食事は1日1食。しょうがと腹巻。
そして、なんと1年後、腫瘍は消え、がんが完治!大病院のお医者様もびっくり。
・・・という奇跡の体験談なんです。
肝臓がんの前には、腎不全になったこともあるというムラキテルミさん。この本の中に、塩について、次のようなことが書かれています。
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腎臓病を患って1年間は、利尿剤を使用しないとお小水が出ない状態でした。排泄ができない日々が続くと、むくみとめまいが訪れます。
人工透析だけはどうしても避けたいと思い、汗を出すために必死で様々な療法を試みました。
(中略)
当時は現在ほど一般に知られていなかったマクロビオティックの料理をマスターするため、アメリカのマサチューセッツ州に飛んで、マクロビオティックの養成学校、クシ・インスティテュートに留学しました。
クシ・インスティテュートの設立者である久司道夫先生からは、私が汗を出せなかったのは塩分が足りなかったからだと教わりました。
私の体は、体液・血液に必要なミネラルバランスを保とうとして、汗で塩分を排出することをしなかったのです。
「海」は「産み」につながり、生命を生み出した源。久司先生は、その海の水から作られた自然海塩のことを「スーパー・サプリメント」と呼んでいらっしゃいます。
体液・血液の浸透圧(ナトリウム、カリウム、塩素などミネラルのバランス)は、海水の浸透圧とリンクしているため、海の水から作ったお塩には、他のサプリメントがいらなくなるほどの効果があるとのことです。
その一方で、単なる塩化ナトリウムである精製塩は薬物として身体が反応することから、精製塩が普及しているアメリカでは血液疾患の方が多いとも教わりました。
実際、自然海塩を積極的に採り始めると、汗もお小水も量が増え、腎臓への負担が軽減されたようでした。
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自然海塩は、他のサプリメントがいらなくなるほどの効果がある「スーパー・サプリメント」 まさしく、そうだと思います。
そして、私は、この本の著者・ムラキテルミさんに、縁あって、お会いすることができました。
(引用終了)

脳腫瘍で余命1ヶ月と宣告⇒ネットで調べた療法を続け
⇒脳腫瘍が消えた!!「脳腫瘍との戦い」詳細な記録
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/ca24000974fbde862a579ce9510e7de2 より
2014-01-24
免疫を上げる食品と、腸内環境の改善、活性酸素の消去、血流の改善、
これらにより、結局は自己免疫を向上して、
自分自身のナチュラル・キラー細胞を活性化させ、
この細胞がガンを攻撃し、
ガンを消滅させる事が自宅においても出来る事を見つけ出したのです。

2014/11/26

渡辺俊美ワンマンライブ


★渡辺俊美ワンマンライブ


@蒲郡BUZZHOUSE 

◆11月29日(土) 

◆料金:2500円 

◆OPEN:19:00 

◆START:20:00 

◇LIVE:渡辺俊美 (東京ナンバーワンソウルセット・ZOOT 16・猪苗代湖ズ) with タタキーナ三星

◇DJ:ABE (OVERLOAD 65)


http://olsf.exblog.jp/20340209/

2014/11/24

本音

 本当のことを言って楽になりたい気持ちをグッと抑える。救われるのは自分だけ。

2014/11/20

うつ病の人も、統合失調症も、誰もが幸せな気分になれる脳トレ「3つの祝福」

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 “幸福”とは心の持ちようで、膨らんだりしぼんだりする。同じ状況におかれても、それが幸福と考える人もあれば、不幸であると考える人もいる。

 今年発表されたイギリスの研究では、83%の人たちが”大抵は幸せ”か”いつも幸せ”を感じていると答えた。ところが、そのような回答をした統合失調症の患者の割合は37%しかいない。また、統合失調症患者の15%は滅多に幸せを感じないと回答している。健康な人たちの中で、こう回答した人は1人もいなかった。

 精神疾患を患った患者が、幸せな生活を送れないというわけではない。だが、こうした人たちの中に幸せを感じにくい人がいることもまた紛れもない事実なのである。

 30代の女性、エリカ・カミュさんは、統合失調症に10代の頃から苦しんできた1人だ。今でも毎週のセラピーは欠かすことができないが、それでもかなり回復することができた。最近では、チャリティ・ショップで掘り出し物探しや森の中の散歩、鉢植えのガーデニングなどにハマっており、以前は考えられなかった幸せな一時を満喫している。そんな彼女がこの病気から抜け出す切っ掛けとなったのが、思いやりセラピー(Compassion-focused Therapy)と呼ばれる療法だ。
 
 ”思いやりセラピー”は仏教にヒントを得て開発された手法であるが、その基本は認知行動療法にある。認知行動療法とは、患者の否定的な考え方を修正し、より現実的な認識を持たせることで、行動の改善を目指す療法だ。

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元統合失調症患者のエリカ・カミュさん

 認知行動療法では、タイムシートを利用して日々の生産性を向上させる試みなど、実践的な手法が実施される。一方、思いやりセラピーでは自分を大切にすることを主眼としている。

 ポジティブ心理学の提唱者マーティン・セリグマン博士によれば、従来の心理療法は伝統的に患者が抱える問題に付いて話し合う場であった。しかし、これは患者に不快な思いをさせることもあり、エリカさんなどは「トラウマです」。と語るほどだ。そうではなく、前向きな気分、自分の長所や美点、有意義な生活の作り方などを話し合うことでも大きな成果を得ることができるのだ。

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 セリグマン博士が考案した手法は、プラセボ対照試験でうつ病に効果があることがしっかりと証明されている。だが、中でも特に気分の改善に効果的だったのが、毎日上手く行ったことを3つ書き出し、その理由を考えてみる、”3つの祝福”と呼ばれる方法だ。

 この手法を使った試験では、驚くべきことに重度うつ患者94パーセントのうつが緩和され、92パーセントが以前より幸せを感じると答え、50パーセントが一般的な症状の完治に成功している。その方法は以下のとおりだ。

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 当然ながら、不幸が精神疾患者の専売特許というわけではない。それどころか、ほとんどの人にとって大きな課題と言えるものだ。

 人々はしばしばネガティブな思考に走り幸福を感じられなくなることがある。だが専門家によれば、ちょっとした習慣を身につけ、脳を訓練することで、毎日でも幸福でいることができるという。これは脳トレのようなもので、訓練すればするほど、前向きで楽観的な考え方になるそうだ。
 
 幸福の経済学を専門とする研究者によれば、イギリスでは1970年以来、社会、技術、医療が大きく発展進歩しているにもかかわらず、人生の満足度にほとんど変化がないそうだ。これは国会で正式に議論すべき、大切な問題なはずであると彼らは主張している。

via:dailymail・原文翻訳:hiroching

 いいことなんて何もない、何も感じられないと思う人もいるかもしれない。だがよく考えてみてほしい、好きな漫画の発売日だったり、たまたま買ったお菓子がおいしかったり、エレベーターを待たずに乗れたりと、すごく小さなことでも何かはあるものだ。今日1日を無事に生き抜けただけでもそれは良いことなのかもしれない。



http://karapaia.livedoor.biz/archives/52178385.html

怒り

大の男

 大人の男が赤の他人に怒るのには、

それなりの理由がある。




写真で振り返る。70年代の原宿は、時代の最先端だった

原宿がファッションの聖地になったのは、1970年代だった。
いまから半世紀近くも前のこと。そのころの原宿は、高級なお店も大きな企業も賑やかなショッピングモールもなくて、広々していた。
いまラフォーレ原宿がある場所は、シックなキリスト教会だった。エッジのきいた若者たちが、何もない原宿にやってきた。カフェに集まり、ライブハウスで新しい音楽に熱狂し、そして若いファッションデザイナーたちが次々とインディーのファッションブランドを立ち上げていった。
インターネットに新しい才能が集まってきているいまの時代と同じようなことが、半世紀前に原宿で起きていたということなんだろう。
そういう原宿の当時のカッコ良さを伝える写真展とトークショーが11月14日から、六本木のミッドトーキョーで開かれている。貴重な秘蔵写真を提供しているのは、フォトグラファーの横木安良夫さんや染吾郎さんら。横木さんの写真の数々は、この動画「あの日の彼、あの日の彼女 1967-1975」でも堪能できる。
ブリジット・フォンテーヌの音楽とともに現れる写真のカッコ良さに痺れてほしい。


写真に出てくる若者たちは、1970年代に20代だった人たち。そう、団塊の世代だ。いまは60代になってるけれど、この世代の青春って何だかいまの時代に少し似ているようにも思える。
今回の写真展を企画したのは、そのころ10代で原宿に入り浸りだったというスタイリストの中村のんさん。彼女はこんなふうに話してる。
「新しい時代、小さくてもいいから何か始めようという時代。それが70年代はじめの原宿だった。あの日々のすべてが愛おしい」
th_スクリーンショット 2014-11-18 19.01.01Photo by Alao Yokogi  th_スクリーンショット 2014-11-18 19.01.44Photo by Alao Yokogi
th_スクリーンショット 2014-11-18 19.02.11Photo by Alao Yokogi
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Photo by Some Goroth_スクリーンショット 2014-11-18 19.08.00Photo by Some Goro
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http://tabi-labo.com/60506/harajyukufashion/

2014/11/18

中村うさぎさんインタビュー:相手に執着してしまうのは自己愛が強すぎるから

中村うさぎさんインタビュー:相手に執着してしまうのは自己愛が強すぎるから(3)

 今回は、小説家・コラムニストの中村うさぎさんに、ご自身の体験を踏まえて、「依存と甘え」についてのお話を伺いました。
第3回は、「依存」との具体的な付き合い方についてお聞きしています。
第1回「甘え下手な優等生キャラは得しないが男に縁がない訳ではない」、第2回「甘え下手な優等生キャラは得しないが男に縁がない訳ではない」も合わせてどうぞ!

どこからが依存かというと「執着したら」
執着はたいがいが愛ではない


(c)AM編集部

―前回、依存は醜い自分と出会うという点では必要な部分もあるというお話でした。
では、次は依存とはそもそも何なのか? 具体的にはどんな付き合い方をしていけばいいのか? ということを中村さんの経験を含め、お聞きしたいです。
手首を切らないまでも、甘えから依存のようになってしまう女性は多いと思うのですが、そういう人はどうしたらいいと思いますか?

中村うさぎさん(以下敬称略):まず、甘えと依存は地続きなんですよ。
ただ、甘えぐらいならよくても、依存となると面倒くさくなる。
どこから依存かというと、「執着したら」。
「その人がいなければ自分は生きていけない」、「その人がいないと自分は何もできない」とかそういうことになってしまったら依存ですね。

 その依存の本質である「執着」は、「愛」ではないんですよ。
「愛してるから電話がほしい」、「愛してるから一緒にいたい」と、たいがい言うんだけど、それは愛じゃないので、ちゃんと自覚した方がいいと思う。
相手に過剰に執着してしまうのって、自分のことを好きすぎるからなんですよ。相手を愛してるんじゃなくて、自己愛なのね。

「私を放っておかないで」、「私の全てを受け入れて」、「私を背負って」とか。
それってすべて結局は「あなたじゃなくて、自分を背負ってほしい」という、エゴイズムやナルシシズムの問題でしょう。

脳内に突っ込み小人がいれば依存しにくい           


(c)AM編集部

中村:普段から自分のスタンスや感情の動きをジャッジするタイプの人だったら、ここまでいったら甘えを超えているな、と自覚すると思うんです。

 私は「突っ込み小人」と言っているんだけど、媚びたりすると、脳内の小人が「今お前媚びただろう」と突っ込んでくるわけ。
突っ込み小人は自分を外側から見ているんですよね。
だから、その突っ込み小人がいる人は甘え下手だし、上手く立ち回ることができないんだけど、その一方で依存にも気づきやすい。

 でも、突っ込み小人がいなくて、さらに友達の忠告でハッとすることもできない、「私はおかしくないもん」って人いるよね。
だから、前回もいったけど、そういう人はもう行くところまで行ってしまえ!(笑)

恋愛で常にクールな人は実は恋愛していない
おそらく恋の相手はその人ではない

―ただ、逆につい軽い付き合いをしてしまう人はどこかで依存しないと、恋愛を楽しみきれないのでは? とも思います。
依存は恋愛の本当の楽しみにおいて必要なことだと思いますか?

中村:必要とは思わないんだけど、あんまりクールだと恋愛に没頭できないよね。
でも脳内麻薬が出たら、バカになることは抗えないんですよ。
「私はバカになるのが嫌だから恋愛もちゃんとクールに対処します」って出来ちゃう人は、恋愛してないんです。

 恋愛しなきゃとか、彼氏の1人ぐらいいなきゃという理由で付き合っても大体ノリが悪いわけですよ。
その人のことを激しく愛さないとって自分に言い聞かせたって、脳内麻薬は出ないから。
それは相手がその人じゃないんだよね。
「楽しみきれないんです」という時点で、もう恋愛じゃないので、その人とは辞めるしかない。

仮に恋愛で脳内麻薬が出なくても
恋愛結婚がすべてではない

中村:でも、もしかしたらそういう人の中には恋愛では脳内麻薬が出ない人もいるかもしれない。
例えば、ギャンブルにめちゃくちゃはまる人もいれば、全然はまらない人もいる。

 それと同じで、人によって脳内麻薬が出て、テンションが上がる対象は違うわけだから、誰もが恋愛はするものだと思い込んでいるけど、そうじゃないかもしれない。
恋愛しないと生殖に行き着かないから、人間は恋愛しないとってなるけど、恋愛で脳内麻薬が出ない人はいるかもしれないよね。
そういう人は恋愛自体が楽しくないんだろうから、他のもので脳内麻薬が出るような楽しみを模索した方がいいかも。

 そこで、何の不都合が生じるかというとやっぱり恋愛出来ないと結婚出来ないんじゃないかという問題がある。
自分はいつか人並みに結婚して子どもが欲しいと思っている人の場合、恋愛出来ないのは大きな障害になると思うんだけど、結婚って恋愛結婚ばかりが結婚でもないので。
そこは結婚を割り切ってしまうしかないよね。

子どもが欲しい場合はセックスが付きもので、いくら子どもが欲しいからって義務的にあまり好きじゃない人とセックスするのは辛いじゃないですか。

 子どもが欲しいわけじゃなくて、生涯一緒にいるパートナーが欲しいという意味での結婚がしたいんだったら、私は必ずしも恋愛感情だけが結婚の条件にはならないと思う。
現に私の夫がゲイなので、私たちの間に恋愛感情は一切ないんだけども。結婚って結局家族になることだから。


http://news.livedoor.com/lite/article_detail/7751448/

いろんなことがうまくいく“執着”をやめる方法

Photo by Michael Blann / Digital Vision
物、お金、異性に対する失いたくないという思い。他人に傷つけられ、その人に抱いたイヤな感情。
恨み、憎しみ、妬み、哀しみ、苦しみ思い出したくないけど、忘れられない過去への執着などたくさんありますね
「こうでなければ絶対やだ」とか「こうなってほしい」という思いから執着が生まれます。
私たちが何かに執着するのは、それを持っていたい、属していたい、一緒にいないと自分が保てないと思っている
失うことを恐れるから執着してしまう。人生を振り返って、自分が愚かだった場面を思い返すと、そこには必ず失う事への恐れが絡む
執着心とは自分だけの幸福を望むという自分勝手な意思。自分の小さな世界で自分のことだけを考えているがゆえに生み出しているものである。
『執着』のマイナス要素と悪い影響
Photo by David De Lossy / Photodisc
日常生活で起こるさまざまなトラブル

・悪口を言われて困っている
・同僚や友人との些細な話の行き違いによるいがみ合い
・自分のことを理解してもらえない葛藤

これらの出来事に時間やエネルギーを囚われることも『執着』ではないでしょうか
自分の生き方をあまり考えない人は、周囲のことすべてが気になりつまらない事に執着してしまう
執着というものは、そこから刺激を受ければ受けるほど強化される傾向がある
特定の事柄へ執着する思いが大きくなりバランスが悪くなって、肝心な事がおろそかになりどこかにしわ寄せが出てしまい不調和が起こる
過去の失敗や他人に指摘されて自信を喪失した事柄に執着して前へ進めず成長がはばまれる
『執着』しないことの利点
「どうしても○○が欲しい」
「どうしても○○になりたい」

このような強い思いは、時に行動の原動力にもなりうるのですが実は苦しみの原因になるそうです
依存や執着がなければ、相手の行動によって左右されずにすむ
人生について深く考え自分なりの生き方を持っている人は他人になにを言われても気にしないし、なにが起きてもあわてることもない
嫉妬や悩みに振り回されない人達は、自分の長所磨きに時間とエネルギーを費やすため、なにかを成し遂げる可能性が非常に高く、それが嫉妬や悩みとどんどん無縁の人生になる
~したい、~がほしい・・・と強く思っているうちは その~は叶いません。執着をやめ 「もういいや」と思ったりすると叶うらしいのです
『執着』をうまく解放するポイント
考えても仕方ない事やどうにもならないことは『どうでもよい事』に値する
執着するだけ無駄であると判断するのもいいですね
「執着を捨てる」ことに「執着する」と押さえつけた圧力により必ず反発や歪みが生まれてしまう
「制御しようとする意識・ 占有しようとする意識・ 対立の意識」人や物事に対してこの3つの意識をもたないこと
「もう辛い思いは嫌だ」「幸せになるぞ!」と自分が本当に欲しい目標設定をすることが大事
執着は、自己否定から生じるものですが「できる自分を信じる」という強い意思と自信を持つことで対象を乗り越える力が更に強まる




http://matome.naver.jp/m/odai/2135096002064231201