俺の人生のゴール(最終目的地)を希望するならば、
安らかなる死であろう。
人生には目的が必要だ。
人生には目標が必要だ。
*目的と目標の違いについて「目的」は、「目標」に比べ抽象的で長期にわたる目あてであり、内容に重点を置いて使う。「人生の目的を立身出世に置く」◇「目標」は、目ざす地点・数値・数量などに重点があり、「目標は前方三〇〇〇メートルの丘の上」「今週の売り上げ目標」のようにより具体的である。」
目的、目標のない人生。
月明かりのない真っ暗な夜の海で、
自分が何処を泳いでいるのかも分からず、
自分の目的地も決めずに、
ひたすら泳ぎ続けるほど虚しいことはないのではなかろうか?
人生に残され与えられた時間は、
当然のことながら人それぞれであり、消費期限が限られたギフトである。
俺が目的達成の為にやるべき事においての前提となる思考の道筋は、
「人生は短い」という本質、意義を徹底的に理解することである。
俺が安らかな死を迎える為に出来る残された時間は短い。
今現在の自分においては、
自分を否定しながら、
自分を鼓舞するなんていう気取って格好をつける
時代遅れの昭和の純文学作家のような無駄な時間を持つ事は、
一秒足りとも許されてはいない。
ただ、今ある自分自身が持ち合わせているモノだけをひたすら信じて、
一心不乱に前へと突き進むのみである。
そして、安らかな死を迎える時に下記のドラッカー手記のように
想うことが出来たらのなら、とても幸いである。
そう、安らかな死とは・・・
もう一度、人として生まれ、
人生を歩みたいと願うことであろうと思う。
ドラッカーの名言を・・・
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
今度はもっと間違いをおかそう。
もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。
絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。
この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。
もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。
もっとたくさんのチャンスをつかみ、
行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。
もっとたくさんアイスクリームを食べ、
お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。
もっと本当の厄介ごとを抱え込み、
頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。
もう一度最初から人生をやり直せるなら、
春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。
もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、
もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。
もう一度人生をやり直せるなら・・・・
だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。
私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?
自分に規制をひき、他人の目を気にして、
起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・
もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、
たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、
人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。
人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。
- P.F.ドラッカー 享年95歳 -