2013/01/23

忍耐の大切さ


【忍耐の大切さ】

日常生活の中で、他人からいわれのない侮辱を受けた時、

皆さんはどうされますか?

腹を立ててやり返すか、

淡々と受け流すか。。

いろいろと対処の仕方はあると思いますが、

「怒りは無謀にはじまり 後悔に終わる」

と言われます。

やはり後になると、

あんなことで腹を立てなければよかった

と思うことが多いのではないでしょうか。

考えさせるエピソードを一つ紹介します。

有名な「韓信の股くぐり」です。

韓信は、中国の貧しい家に生まれた青年でした。

なかなか仕事にもつけず、

毎日、川で釣りばかりしていたといいます。

しかし、独学で孫子の兵法を研究しながら、

「今に見ておれ。いつか、必ず、将軍になってみせる!」

と大きな志に燃えていました。


ある日、韓信は、町で、不良にからまれてしまいます。

「貴様、いつも偉そうに剣なんかぶらさげやがって!

 格好ばかりで、心の中は、ビクビクしているのだろう。

 どうだ、その剣で俺を刺す度胸があるか。やってみろ!

 できなければ、俺の股をくぐれ」

韓信は、黙って不良を見つめていましたが、

やがて、地べたに這いつくばって、

嘲り笑う不良の股をくぐってみせたのです。

その様子を見ていた人々も、これを笑い、

「臆病者」とさげずみましたが、

韓信は何食わぬ顔で、その場を立ち去ったのでした。

やがて、秦王朝崩壊後の戦乱の世で、

一国の王にまで出世した韓信は、

その時のことを次のように語ったといいます。

「男が私を辱めた時、いくらでも殺すことができた。

 しかし、一時の怒りで罪人となっていたら、

 今日の私はなかったであろう。

 この男のおかげで、がまんすることを覚えたのだ」

お釈迦様は六度万行(6つの善い行い)の一つに

忍辱(忍耐)の大切さを教えられています。

ならぬ堪忍、するが堪忍

一時の怒りで大切なものを見失っては

なりませんね。


2013/01/19

怒り

怒りというのは、執着心からわき起こることが多いのです。
希望を持つことはとても健全です。
希望と執着というのは、似て非なりで、よく混同されがちです。
希望というのは、私たちにエネルギーをもたらします。
希望は「こうしたい、こうしよう」と思っている状態。
そして、情熱があります。心にときめきや張り合いがあります。
私たちをどんどん健康にしていきます。
それに相反して、執着というのは何がなんでも「こうあらねば」「こうするべき」と、
プレッシャーを感じてエネルギーがどんどん
低下していってしまいます。

仏教の教えでは、「執着ほど人間を悩ませるものはない」というふうに教えています。
そして興味深いのは、人間が執着するのはものでもなく、
健康でもなく、命でもなく「考え方」だと言われています。
ですから、考え方を変えることほど、難しいことはないということなんです。
FROM川畑のぶこ

2013/01/17

生きる

今まで十分に「辛い思い」はした。

今まで十分に「恐れ」た。

今まで十分に「ふるえ」た。 

今まで十分に「怖じ」気づいた。

今まで十分に「いじけ」た。

拒否されることを恐れるだけ恐れて、

歓迎される自分を味わうことなしに
死んでいくことはないではないか....。

今まで十分に眠れぬ夜は過ごした。

もうぐっすり眠れる夜を持っていいではないか。

今まで、
よい人と言われるために、十分に「他人の期待する」ことだけしてきた。

今まで十分に、「従順」に生きてきた。

そして「何の報酬」もなかった。

それは、
けっして「勝つことのない」ゲームに参加しているようなものだった。

他人の期待に従うことだけを目標に生きてきて、
それでいつも拒否されることに怯えている。

けっして勝つことのないゲーム、
そしてつねに自分を評価し判断する世界。

人びとはいつでも自分を評価しようとしている。

そんななかで十分に自意識過剰になり、十分に苦しんだ。

他人に十分に支配されてきた。

つねに自分を低く評価しようとしている人とは、十分につきあった

可愛がってもらいたくて、十分に静かに生きてきた。

可愛がってもらいたくて、自分の意向は十分に捨ててきた。

そしてその結果として得たものは何であったか。

そう、それは「神経症」であった。

それが「古い台本」に従って生きてきたあなたの結末ではないか。

それでもなお、あなたは古い台本に従って生きようというのか。


「新しい台本」に従って、「熱い人生」を生きてみようとは思わないだろうか。


生きようと思えば生きられるかもしれないのに...





Kazuya Honda様の投稿より引用させていただきました。